
「残念ですが、この歯はもう残せません。抜きましょう」。歯科医師から、まるで最終宣告のように、その一言を告げられた時の衝撃と絶望感は、経験した人でなければ分からないかもしれません。
頭が真っ白になり、これまで当たり前のようにそこにあった体の一部を失うという事実に、心が追いつかない。「本当に、もう打つ手はないのだろうか」「この歯を失ったら、私の生活はどう変わってしまうのだろう」。
そんな、誰にも言えない不安で、胸が張り裂けそうになっているのではないでしょうか。
私自身、歯科医師として、患者さんに厳しい診断を伝えなければならない場面に、幾度となく立ち会ってきました。しかし、同時に、声を大にしてお伝えしたいのです。現代の歯科医療には、かつては諦めるしかなかった歯でさえも、驚くべき精度と技術で救い出す「歯科保存治療」という、希望の光があるということを。
これは、歯を単なる「モノ」としてではなく、かけがえのない「臓器」の一つとして捉え、その機能と命を最大限に維持しようとする、歯科医療の根幹をなす専門分野です。
これから、抜歯という選択肢しか見えなくなってしまったあなたのために、歯科保存治療の基本から、最先端の技術、そしてあなたが賢い選択をするための具体的なチェックポイントまで、その全貌を、私の臨床経験を交えながら、一つひとつ丁寧に解き明かしていきます。
諦めるのは、まだ早い。あなたの歯には、まだ未来があるかもしれません。
目次
- 保存治療の基本と仕組み
- 歯の根を活かす治療の可能性
- 重度虫歯への保存的アプローチ
- 歯周病管理と保存治療の関係
- 外科的処置との組み合わせ事例
- 治療後の予後とメンテナンス
- 歯科医との相談時に役立つ質問集
- 保存か抜歯かを決めるチェックポイント
- 初診からの流れと診断方法
- 未来を見据えた治療選択を
1. 保存治療の基本と仕組み
「歯科保存治療」という言葉を、初めて耳にする方も多いかもしれません。これは、その名の通り、虫歯や歯周病、あるいは外傷などによってダメージを受けた歯を、可能な限り抜かずに保存し、その機能と審美性を回復させることを目的とした、歯科医療の一分野です。
これを、家のリフォームに例えて考えてみましょう。柱が少し腐ったり、壁に穴が空いたりしたからといって、すぐに「家を解体しましょう」とはなりませんよね。
まずは、腐った柱を補強したり、壁の穴を修復したりと、その家をできるだけ長く、快適に使い続けられるように、あらゆる修繕を試みるはずです。歯科保存治療の考え方も、これと全く同じです。
その基本的なアプローチは、非常にシンプルです。
- 原因の除去:まず、歯を蝕んでいる原因、つまり虫歯菌に感染した部分や、歯周病の原因となる歯石などを、徹底的に取り除きます。
- 形態と機能の回復:失われた部分を、レジン(歯科用プラスチック)やセラミックなどの人工材料で修復し、元の歯の形と、しっかりと噛めるという機能を取り戻します。
しかし、歯科保存治療の真髄は、こうした目に見える部分の修復だけではありません。その根底に流れているのは、「歯を、体から独立したモノではなく、顎の骨や神経、血管と繋がった、かけがえのない一つの“臓器”として捉える」という哲学です。
一本の歯を失うことは、単に噛む場所が一つ減る、という単純な話ではないのです。
その歯が担っていた噛む力を周りの歯が肩代わりすることで、ドミノ倒しのように他の歯の寿命を縮めたり、噛み合わせのバランスが崩れて全身の不調に繋がったりと、お口の中、ひいては全身の健康に、計り知れない影響を及ぼします。
だからこそ、保存治療の専門家は、安易に抜歯という選択をせず、「本当にこの歯は、現代の最高の知識と技術をもってしても、救うことはできないのか?」という問いを、常に自らに投げかけます。
歯科保存治療とは、歯の延命を図る、最後の砦。それは、あなたの未来の健康とQOL(生活の質)を守るための、歯科医師の良心と情熱が凝縮された分野なのです。
関連記事:予防歯科と定期検診で守る口腔の健康|虫歯・歯周病を未然に防ぐために知っておきたいこと
2. 歯の根を活かす治療の可能性
あなたがもし、「もう神経も死んでいるし、ほとんど崩れているから、この歯は残しても意味がないのでは?」と思っているとしたら、それは大きな誤解です。
歯の価値は、目に見える白い部分(歯冠)だけで決まるものではありません。むしろ、歯の命運を握っているのは、歯茎の下に隠れ、顎の骨にどっしりと根を張っている「歯の根(歯根)」の存在なのです。
この歯の根を残すことには、計り知れないほどの大きなメリットがあります。
- 噛む感覚(歯根膜)の維持:歯の根の周りには、「歯根膜」という薄いクッションのような組織があります。この歯根膜には、噛んだ時の硬さや食感を脳に伝える、非常に重要なセンサーの役割があります。硬いものを噛んだ時に「これ以上は危険だ」と力を加減したり、「シャキシャキ」「フワフワ」といった食事の楽しみを感じたりできるのは、この歯根膜のおかげなのです。歯を抜いてインプラントにすると、このセンサーが失われるため、自分の歯のような自然な噛み心地は、二度と戻ってきません。
- 顎の骨の維持:歯の根があることで、噛む刺激が顎の骨に伝わり、骨は「自分はまだ必要とされている」と認識して、その密度と量を維持します。しかし、歯を抜いてしまうと、その刺激がなくなるため、骨は役目を終えたと判断し、徐々に痩せていってしまいます。これが、入れ歯が合わなくなったり、顔の輪郭が変わってしまったりする原因の一つです。
この、かけがえのない歯の根を救うための治療が「根管治療(歯内療法)」です。
これは、重度の虫歯によって細菌に感染してしまった、歯の根の中の神経や血管(歯髄)を取り除き、管の中をミクロのレベルで徹底的に洗浄・消毒し、再び細菌が侵入しないように、隙間なく薬剤で封鎖する、極めて精密で複雑な治療です。
これを家の基礎工事に例えるなら、シロアリに食われた床下の柱を全て取り除き、防腐処理を施し、コンクリートで完全に密閉するような作業です。
この基礎工事が完璧でなければ、どんなに立派な家(被せ物)を建てても、いずれは土台から崩れてしまいます。根管治療の成功こそが、歯の根を長期的に活かすための、絶対的な生命線なのです。

3. 重度虫歯への保存的アプローチ
「虫歯が神経まで達しているので、神経を抜きましょう」。これは、歯科医院でよく聞かれる言葉です。しかし、「神経を抜く」という処置が、その歯の未来にどのような影響を与えるのか、深く考えたことはあるでしょうか。
神経(歯髄)は、歯に栄養や水分を供給する、いわば「ライフライン」です。このライフラインを失った歯は、まるで枯れ木のようにもろくなり、将来的に破折してしまうリスクが格段に高まります。
だからこそ、現代の保存治療では、「いかにして、この大切な神経を温存するか」という点が、非常に重要視されています。
かつては、少しでも神経が細菌に感染したり、露出したりした場合には、予防的に神経を全て取り除くのが一般的でした。しかし、材料と技術の進歩が、その常識を大きく変えつつあります。
その立役者の一つが、「MTAセメント」という特殊な歯科材料です。このセメントは、
- 非常に高い殺菌性を持つ
- 水分があっても硬化し、封鎖性に優れる
- 周辺の組織の再生(硬組織誘導能)を促す
といった、まるで夢のような特性を兼ね備えています。
このMTAセメントを用いることで、これまでであれば神経を抜くしかなかったような、非常に深い虫歯のケースでも、神経の一部または全部を温存できる可能性が飛躍的に高まりました。
- 直接覆髄法:虫歯の除去中に、偶発的に神経がわずかに露出してしまった場合に、MTAセメントで直接その穴を塞ぎ、神経を保護・温存する方法。
- 断髄法:神経の一部が感染してしまった場合に、感染した部分だけを取り除き、健康な神経の断面をMTAセメントで封鎖し、残りの神経の生命力を維持する方法。
私が以前担当した20代の若い患者さんは、他院で「一番奥の歯に大きな虫歯があり、神経を抜かないとダメだ」と言われ、ショックを受けて来院されました。レントゲンを見ると、確かに虫歯は神経のすぐ近くまで達していましたが、幸いにも痛みなどの急性症状はありませんでした。
そこで、MTAセメントを用いた断髄法を提案し、慎重に治療を進めた結果、神経を温存したまま、歯の機能を回復させることができました。もし、あの時、安易に神経を抜いていたら、彼が80歳になった時、その歯はもう存在しなかったかもしれません。
もちろん、全てのケースで神経が残せるわけではありません。しかし、MTAセメントのような新しい材料と、それを使いこなす精密な技術によって、「神経を抜く」という選択の前に、もう一つ、「神経を守る」という希望の扉が開かれたのです。
4. 歯周病管理と保存治療の関係
歯を失う原因の第一位は、実は虫歯ではなく「歯周病」です。歯周病は、歯そのものではなく、歯を支える土台である歯茎や顎の骨(歯周組織)が、細菌によって破壊されていく病気です。どんなに頑丈な建物も、その土台が崩れてしまえば、やがては倒壊してしまいますよね。歯も全く同じで、歯周病によってグラグラになった歯は、たとえ虫歯がなくても、抜歯の対象となることがあります。
しかし、「もうグラグラだから、抜くしかない」と諦めるのは、まだ早いかもしれません。歯科保存治療の領域では、この崩れかけた土台を徹底的に修復・管理し、建物を安定させるというアプローチで、歯の延命を図ります。
その基本となるのが、徹底的な歯周基本治療です。
- スケーリング・ルートプレーニング:歯の表面や、歯周ポケットの奥深くにこびりついた、歯周病の元凶である歯石やプラークを、専門の器具を使って、ミクロのレベルで徹底的に除去します。
- ブラッシング指導:患者さん自身のセルフケアの質を向上させなければ、再発は防げません。あなたのお口の状態に合わせた、最適な歯ブラシの選択と、効果的な磨き方を、マンツーマンで指導します。
私が診てきた患者さんの中には、来院された時には、前歯がグラグラで、「もう食事もままならない」と涙ぐんでいた方もいました。しかし、数ヶ月にわたる徹底した歯周基本治療と、ご本人の懸命なセルフケアによって、歯茎の炎症は劇的に改善。
あれほど揺れていた歯が、まるで再建された土台に根を張ったかのように安定し、再びリンゴを丸かじりできるようになった時には、私も心の底から感動しました。
さらに、歯周基本治療だけでは改善が難しい、深く骨が失われたケースに対しては、
- 歯周組織再生療法:特殊な膜や薬剤を使い、失われた骨そのものを再生させる治療
- 歯周形成外科:痩せてしまった歯茎を、他の場所から移植して厚みを回復させる治療
といった、より高度なアプローチも存在します。
歯周病で揺れている歯は、いわば「助けを求める悲鳴」を上げています。その声に耳を傾け、土台を徹底的にクリーンにし、強化することで、抜歯という最悪のシナリオを回避できる可能性は、十分に残されているのです。
関連記事はこちら:矯正治療を始める前に知っておくべき全てのこと
5. 外科的処置との組み合わせ事例
歯科保存治療は、歯の内側からアプローチする「内科的」な治療だけではありません。時には、歯の外側、つまり歯の根の周囲から直接アプローチする「外科的」な処置を組み合わせることで、絶望的とさえ思われた歯を救い出すことがあります。
これらは、いわば歯を残すための「最後の砦」とも言える、高度な専門技術です。
その代表的なものが「歯根端切除術」です。これは、通常の根管治療を行っても、歯の根の先の病気(根尖病変)が治らない難治性のケースに対して行われる、最後の手段です。
これを、トンネル工事に例えてみましょう。通常の根管治療は、トンネルの入り口(歯の頭側)から、内部の障害物を取り除いていく作業です。しかし、トンネルの奥深く、出口付近に、どうしても取り除けない強固な岩盤(感染源)が残ってしまうことがあります。
このままでは、トンネルはいつまで経っても開通しません。そこで、トンネルの出口側(歯の根の先端側)からアプローチし、問題の岩盤ごと、トンネルの先端部分を切除して、特殊なセメントで完全に封鎖してしまう。これが、歯根端切除術の考え方です。
具体的には、
- 歯茎を小さく切開し、問題のある歯の根の先端部分の骨を、最小限だけ削って露出させます。
- マイクロスコープ(歯科用顕微見鏡)を使って、患部を強拡大しながら、感染源となっている歯の根の先端部分を、数ミリだけ正確に切断・除去します。
- 切断面から、MTAセメントなどの生体親和性の高い材料を充填し、細菌が再び漏れ出さないように、完全に封鎖します。
この手術の成功率は、マイクロスコープの登場によって飛躍的に向上しました。肉眼では決して見ることのできない、複雑な根の形態や、感染の見落としを防ぐことができるからです。
この他にも、一度意図的に歯を抜いて、口の外で歯の根の先の処置を行い、再び元の場所に戻す「意図的再植術」など、様々な外科的アプローチが存在します。これらの治療は、全ての歯科医師ができるわけではなく、高度な技術と経験、そしてそれを支える設備が不可欠です。
しかし、こうした最後の選択肢があることを知っておくだけでも、「もうダメだ」という絶望が、一縷の希望に変わるかもしれません。

6. 治療後の予後とメンテナンス
困難な保存治療を経て、ようやく抜歯を回避できた時、患者さんも、そして私たち歯科医師も、大きな安堵感と達成感に包まれます。しかし、絶対に忘れてはならないのは、治療の成功は、ゴールではなく、新たなスタートラインに過ぎないということです。
困難な状況から救い出された歯は、いわば「大きな病気を乗り越えた、重点管理が必要な歯」です。健康な歯に比べて、どうしても構造的に弱くなっていたり、再発のリスクを抱えていたりします。
その歯の寿命、つまり「予後」をできるだけ長く、良好に保つためには、治療そのもののクオリティと、その後の生涯にわたる徹底したメンテナンスが、車の両輪のように不可欠なのです。
治療後の歯を長持ちさせるために、あなたにお約束していただきたいことは、主に二つです。
- セルフケアのレベルを、プロフェッショナル級に引き上げること
治療が成功したからといって、以前と同じようなケアに戻ってしまっては、再発するのは時間の問題です。歯科衛生士から指導された、あなたのお口に最適なブラッシング法、そしてフロスや歯間ブラシの習慣を、一日たりとも欠かさず、完璧に実践する。そのくらいの覚悟が必要です。 - 何があっても、定期メンテナンスを欠かさないこと
これが最も重要です。どんなに完璧なセルフケアでも、必ず磨き残しは生じます。そして、再発の兆候は、あなた自身が気づかないような、ごくごく初期の段階から始まります。3ヶ月〜4ヶ月に一度は、必ずかかりつけの歯科医院を訪れ、プロフェッショナルによる徹底的なクリーニングと、専門家による厳格なチェックを受けてください。
私がよく患者さんに例えるのは、「高級なクラシックカーの維持」です。素晴らしい名車も、日々の丁寧な手入れと、定期的な専門メカニックによる点検・調整がなければ、その性能を維持することはできず、やがては動かなくなってしまいます。困難な治療を経て残したあなたの歯は、まさに世界に一台しかない、かけがえのないクラシックカーなのです。
治療後のメンテナンスは、面倒な義務ではありません。それは、多くの時間と努力、そして費用をかけて守り抜いた、あなたの貴重な財産(歯)の価値を、未来永続的に維持するための、最も賢明で、愛情のこもった投資なのです。
参考ページ:食生活の見直しで虫歯リスクを減らす方法:歯に優しい食事選びのポイント
7. 歯科医との相談時に役立つ質問集
歯科保存治療は、時に非常に複雑で、複数の選択肢が存在します。あなたが、受け身の患者ではなく、治療チームの一員として、主体的に意思決定に関わっていくためには、歯科医師に対して、的確な質問をする能力が不可欠です。
いざ診察室に入ると、緊張してしまって、聞きたかったことを忘れてしまう、という経験は誰にでもあるでしょう。そうならないために、事前に聞きたいことをリストアップし、メモとして持参することをお勧めします。
以下に、あなたが賢い患者になるための、具体的な質問集を挙げます。
【診断と現状について】
- 「私のこの歯の現在の状態を、専門用語ではなく、分かりやすい言葉で説明していただけますか?」
- 「なぜ、この歯は抜歯が必要だと判断されたのでしょうか?その最大の理由は何ですか?」
- 「このまま放置した場合、具体的にどのようなリスクが、どのくらいの期間で起こると考えられますか?」
【治療法の選択肢について】
- 「先生が提案してくださる治療法以外に、考えられる選択肢は、保険診療・自由診療含めて、他にどのようなものがありますか?」
- 「それぞれの治療法の、メリットとデメリット(リスク、痛み、期間、費用など)を、比較して教えてください。」
- 「先生が、もしご自身の家族だったら、どの治療法を勧めますか?その理由も教えてください。」
【具体的な治療内容と予後について】
- 「その保存治療の成功率は、一般的にどのくらいですか?また、先生ご自身の経験では、どのくらいの成功率ですか?」
- 「もし、その治療がうまくいかなかった場合、次に考えられる選択肢(リカバリープラン)は何ですか?」
- 「この治療で歯を残せた場合、将来的には、どのくらい長持ちすると期待できますか?」
これらの質問をすることは、決して歯科医師の能力を疑っているわけではありません。むしろ、あなたが治療に対して真剣であり、深く理解しようと努めていることの、何よりの証です。良心的な歯科医師であれば、あなたのこうした問いに、誠実に、そして丁寧に向き合ってくれるはずです。
参考:親知らずは抜くべき?タイミングと判断基準を徹底解説【痛みの有無に関わらず知っておきたい知識】
8. 保存か抜歯かを決めるチェックポイント
主治医からの提案、そして場合によってはセカンドオピニオンを経て、あなたは最終的に、「この歯を保存するための治療に挑戦するか」、それとも「抜歯という選択を受け入れるか」という、非常に重い決断を下さなければならない場面に直面するかもしれません。
その時、感情や「なんとなく」で決めてしまうのではなく、あなた自身の人生にとって、何が最善なのかを、冷静に見極めるためのチェックポイントをいくつかご紹介します。
- その歯の「戦略的な重要度」はどのくらいか?
お口の中の歯は、全てが同じ価値を持つわけではありません。例えば、噛み合わせの要となる奥歯(第一大臼歯)や、見た目の印象を大きく左右する前歯などは、戦略的に非常に重要度が高い歯と言えます。こうした歯は、たとえ困難な治療であっても、保存を試みる価値が非常に高いと言えるでしょう。 - 保存治療の「成功率」と「予後」は、どの程度期待できるか?
歯科医師から、客観的なデータに基づいた成功率と、その歯が将来どのくらい長持ちしそうか、という見通し(予後)について、十分な説明を受けましたか?成功率が極めて低いにも関わらず、治療に挑戦するのは、現実的ではないかもしれません。 - あなた自身の「セルフケア能力」と「通院の意思」は十分か?
前述の通り、困難な保存治療で残した歯は、その後の徹底したメンテナンスが不可欠です。あなたは、毎日の丁寧なセルフケアと、定期的な通院を、生涯にわたって継続する覚悟がありますか?もし、その自信がないのであれば、無理に残すよりも、抜歯後の、より管理しやすい治療法(インプラントなど)を選択した方が、長期的には良い結果に繋がることもあります。 - 治療にかかる「時間」と「費用」は、あなたのライフプランにとって許容範囲か?
高度な保存治療は、時に長期間にわたり、費用も高額になることがあります。その負担が、あなたやご家族の生活に、どの程度影響を与えるのか。これも、無視できない重要な判断材料です。 - 最終的に、あなた自身が「心から納得」できているか?
これが最も大切なチェックポイントです。全ての情報を吟味した上で、「この治療法なら、たとえ将来うまくいかなかったとしても、後悔はない」と、心から思えるかどうか。他人の意見に流されるのではなく、あなた自身の価値観に基づいて下した決断こそが、最善の決断なのです。

9. 初診からの流れと診断方法
「自分の歯も、もしかしたら残せるかもしれない」。そう希望を抱いたあなたが、保存治療を専門とする歯科医院の門を叩いた時、そこではどのようなプロセスが待っているのでしょうか。
正確な治療は、正確な診断なくしては成り立ちません。保存治療の専門医は、まるで熟練の探偵のように、あらゆる角度から情報を集め、抜歯を回避するための糸口を探します。
一般的な初診からの流れは、以下のようになります。
- 詳細な問診(カウンセリング)
まず、治療の椅子に座る前に、あなたの話をじっくりと聞くことから始まります。いつから、どんな症状があるのか。これまで、どのような治療を受けてきたのか。そして何より、あなたが何を不安に思い、何を望んでいるのか。この対話を通じて、歯科医師はあなたの背景を深く理解し、信頼関係を築きます。 - 基本的な口腔内検査
- 視診・触診:歯や歯茎の状態、噛み合わせ、プラークの付着状態などを、直接目で見て、器具で触れて確認します。
- 歯周ポケット検査:歯と歯茎の間の溝の深さを、全ての歯で1本ずつ丁寧に測定し、歯周病の進行度を記録します。
- 精密な画像検査
ここからが、保存治療の成否を分ける、非常に重要なステップです。- デンタルレントゲン撮影:個々の歯を、様々な角度から撮影し、虫歯の深さや、歯の根の形、根の先の病気の状態などを詳細に分析します。
- 歯科用CT撮影:従来の二次元レントゲンでは決して分からなかった、歯や顎の骨の三次元的な構造を、断層写真で正確に把握します。特に、複雑な根管治療や、外科的処置の前には、もはや不可欠な検査です。神経や血管の位置、骨の厚みなどを立体的に確認することで、治療の安全性と確実性を飛躍的に高めます。
- その他の特殊な検査
必要に応じて、歯の神経が生きているか死んでいるかを調べる「歯髄電気診」や、歯の揺れ具合を測定する「動揺度検査」、お口の中の細菌の種類を調べる「細菌検査」などが行われることもあります。 - 診断と治療計画の立案・説明(コンサルテーション)
全ての検査結果を総合的に分析し、歯科医師は、あなたの歯を保存するための、最も現実的で効果的な治療計画を立案します。そして、検査画像などをお見せしながら、「あなたの歯は、現在このような状態です」「考えられる治療の選択肢はAとBとCがあります」「それぞれのメリット・デメリットはこうです」といった内容を、あなたが完全に理解し、納得できるまで、十分な時間をかけて説明します。
この丁寧で精密な診断プロセスこそが、信頼できる保存治療専門医の証です。あなたの歯の運命は、この最初の診断にかかっていると言っても、決して過言ではありません。
10. 未来を見据えた治療選択を
私たちは今、人生100年時代を生きています。あなたが今、下そうとしている「一本の歯」に関する決断は、これから何十年と続く、あなたの未来の生活の質(QOL)に、想像以上に大きな影響を与える可能性があります。
短期的な視点で見れば、抜歯は、痛みや問題を最も早く解決できる、簡単な方法に見えるかもしれません。しかし、長期的な視点で見るとどうでしょうか。
一本の歯を失うことで、
- 隣の歯が倒れ込み、全体の噛み合わせが崩れていくリスク
- 噛む力が弱まり、消化器系に負担をかけるリスク
- 好きなものが食べられなくなり、食事の楽しみが失われるリスク
- 発音がしにくくなったり、口元の審美性が損なわれたりするリスク
- 将来的に、より高額なインプラントや、複雑な入れ歯の治療が必要になる経済的リスク
こうした、数多くの「負の連鎖」が始まる可能性があるのです。
一方で、困難な治療を経て、たとえ一本でも多くの自分の歯を保存することは、
- 自分の歯で、生涯にわたって食事を美味しく味わえる喜び
- 自然な噛み心地と、それに伴う脳への適切な刺激
- 全身の健康バランスの維持
- 将来の歯科治療にかかる、経済的・時間的負担の軽減
といった、お金では決して買うことのできない、かけがえのない価値をもたらしてくれます。
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歯科保存治療:人生の未来を明るくする、賢明な選択
歯科保存治療に挑戦するということは、単に一本の歯を残す、ということではありません。それは、あなたの未来の「食べる喜び」「笑う自信」「健康な毎日」を守るための、極めて賢明で、愛情に満ちた選択なのです。
もし今、あなたが抜歯という選択肢の前で立ち尽くしているのなら、どうか諦めないでください。現代の歯科医療には、あなたの想像を超える、多くの可能性が秘められています。
勇気を出して、保存治療の専門家の扉を叩いてみてください。その一歩が、あなたの歯の、そしてあなたの人生の未来を、より明るい方向へと導いてくれるはずです。
執筆者
内藤洋平
丘の上歯科醫院 院長
平成16年:愛知学院大学(歯)卒業
IDA(国際デンタルアカデミー)インプラントコース会員
OSG(大山矯正歯科)矯正コース会員
YAGレーザー研究会会員



























